1. 島国ゆえの安全保障上の余裕について
• 外敵が攻めにくいことについて
ヨーロッパ大陸の国家や中国は、常に隣国からの侵攻リスクに直面していました。そのため、外交や同盟、戦略的な均衡感覚が生存の条件になっていました。
一方、日本は四方を海に囲まれており、船による侵攻が困難でした。元寇(13世紀)や豊臣秀吉の朝鮮出兵の逆パターンを見ても、海を越える大規模軍事行動には極めて高いコストがかかり、侵攻の頻度は低くなりました。
• 外交の必要性が相対的に小さいことについて
外交が「生死を分ける必須スキル」ではなく、限定的な選択肢として扱われがちでした。結果として、近隣諸国(中国・朝鮮)との関係は、朝貢や文化交流といった基本的なやり取りで十分だと考えられてきました。
このため、ヨーロッパに見られるような「バランス・オブ・パワー外交」が育ちにくかったのです。
―――――――――――――――
2. 内政や文化への集中について
• 島国的自己完結性について
長期にわたって農業・漁業・工業の基盤が国内で循環し、交易や資源確保は重要ではあったものの、陸続きの国家のように生存を左右するほど切迫していませんでした。鉄や塩、絹などは輸入していましたが、大陸国家ほどの危機感は必要ありませんでした。
• 鎖国政策が可能だった理由について
江戸時代の鎖国体制も、島国であったからこそ実現できた政策でした。大陸国家であれば周囲との断絶は生存不可能につながりますが、日本は地理的条件に守られていたため実施できました。
―――――――――――――――
3. 近代以降に生じたギャップについて
• 海の防波堤が無力化したことについて
19世紀後半から20世紀にかけて、蒸気船・鉄鋼艦・航空機が登場し、「海が守ってくれる」という地理的優位は急速に弱まりました。
日清・日露戦争では、日本は逆に海軍力を積極的に使い、大陸に関与する立場になりました。
第二次世界大戦では、アメリカの空母や長距離爆撃機によって、「海で守られている」という前提が完全に崩壊しました。
• 外交訓練の不足が明らかになったことについて
長期間「外交を本気で鍛えなくても生き残れた」という歴史的背景のツケが、国際政治の近代化によって一気に表面化しました。列強と対等に交渉してきた経験の不足が、開国後の不平等条約改正の難航や、大戦期の外交的孤立につながりました。
―――――――――――――――
4. 地政学的比較について
• ヨーロッパの大国について
国境が接しているため、常に外交と軍事を一体化させなければ生き残れませんでした。交渉術や多国間協調、裏切りと同盟の繰り返しが外交スキルを洗練させました。
• 中国について
広大な国境線を抱え、遊牧民や周辺諸国からの圧力を常に受けていました。冊封体制も軍事的現実に裏付けられた外交システムとして成立しました。
• 日本について
地理的に孤立しており、周辺リスクが限定的だったため、外交を必須とする意識が長期的に根づきませんでした。
―――――――――――――――
まとめ
「海に守られてきた」という地理的事実は、
• 外交スキルを必ずしも必要としなかったこと
• 鎖国や内政優先の方針を実現可能にしたこと
• 外交より軍事・文化・内政に資源を集中できたこと
といった形で長期的な影響を残しました。
しかし近代に入ると、その地政学的優位は消失し、欧米や中国と比べた場合、外交交渉の経験値や強靭さに大きなギャップが生まれました。
つまり、日本は歴史的に「地理的安全性によって外交の訓練が遅れ、近代において不利な状況に立たされた」と整理できます。


コメント